シガテラの感想を言うと、なんだか、話に一貫性がなく、最後の方は、ちょっと間延びしてるなと思ったりしましたが、他の作者が描かないような事を描いてあって面白かったです。
例えば、悪いヤツに死刑より辛い刑を与えるために、長い時間かけて、長い間、痛みや、苦しみを与え続けようと計画し実行する人物が出て来ます。
そのほかにもヤバイ人が出て来ます。(僕だけかもしれませんが)誰もが実際には行動には移さないけど、ふと考えてしまうような、法に触れる事を、行動に移してしまう人が出て来ます。
なんだか、普通の人(犯罪を犯さない人)と変人(犯罪を犯してしまう人)は紙一重かもしれないなあと思いました。そんな人がたくさん出て来ます。
この作者は表現が上手いなと思いました。なんていうか言葉では表せない、日本の現代の特有の高校生の微妙な雰囲気を上手く出してると思いました。
僕はまだ、最近(結構昔)まで高校生だったので、今の高校生を割とリアルに理解できるつもりでいるけど、中年の人がシガテラを読んだら、細かい微妙なところは理解できないかもしれませんね、生まれた時代が違うから。 読む世代によって感じ方が違うと思います。
まあ、僕も年をとり、そろそろ高校生や中学生の微妙な雰囲気が分からなくなり、中学生高校生が主人公の(特に著者が若い)マンガを読んでも、今より、感じ方が浅くなるかもしれませんね。
僕が中学の時は携帯もインターネットもやってなかったけど、今の中学生はやってるから、文化が違うし。
僕はリセットボタンを押しながら電源を消したことあるけど、今の高校生はそんな経験ないだろうし、データが消えた時のあの、儚さも知らないでしょう。ましてや52文字の復活の呪文なんて。
そんな微妙ななんとも言えない、雰囲気を上手く、この作者は出してるなあと思いました。
シガテラを読んだ人しか分からないですけど、僕は、谷脇と高井が好きです。
谷脇は主人公をいじめるヒドイヤツですけど、セリフが面白いなあと思いました。主人公をパシリに使わせてて、主人公が注文されたコーヒー牛乳を買い忘れた時、「僕とコーヒー牛乳」という題名の作文を書かせたり、その割には自分の彼女の写真をみせたり、面白いなあと思いました。なんだかんだ言って、いじめておきながら、主人公の事は好きだったんだと思います。僕はこんなヤツに苛められたら、人生真っ暗だと思いますけど。
高井はさえない主人公のさえない友達です。主人公に彼女ができて、一緒に歩いている時に高井と出くわしてしまうシーンはなかなか感じるものがありました。この作者は、こういうさえない人物を描くのが上手いなと思います。世の中はさえない感じのひとの方が多いですし。(僕もその1人)
ある本でマンガ家は映画で言うなら、脚本家、照明家、カメラマン、監督、演出家、デザイナーの能力が必要であると読みました。
登場人物を描くにも、アングルとか考えなきゃいけないし、服装や髪型、背景にも気をつかわなきゃいけないです。
マンガの文化っていうのは、日本特有の文化らしいです。欧州のマンガというのは、カラーである事がおおいらしいです。日本のマンガは白黒です。それは、昔から水墨画という白黒の省略の美である、芸術から来ているらしいです。
マンガには映画やドラマには無い表現方法があるそうです。それは、コマ割です。マンガはどうでもいい場面は小さく、重要な場面は大きく書くことができます。コマ割によっても、ずいぶん、変わるそうです。映画は画面を大きくしたり、小さくする事はできませんから。
マンガは音声が無い事が弱点と言えるかもしれませんが、ふきだしの形や文字の大きさなどで感情を上手く表しています。これもマンガの文化といえます。
その他いろいろな技巧がふんだんに使われており、日本のマンガはかなりレベルが高いらしいです。マンガは軽視されがちですが、もっと評価されてもいい表現方法だと、その本の筆者は言ってました。
そんな視点から、マンガを読んでもなかなか楽しいと思いますよ。マンガは持ち運びが便利でいつどこでも、自分のペースで読めるところが良いですしね。
ちなみにシガテラでは、最後、数年後の話になるのですが、主人公は前髪をあげてました。大人になると額を見せるようになるらしいです。額を髪で隠してるのは子供から抜け切れてないらしいです。。