なんか、今日は体調が優れません。気持ち悪いし、食べると、お腹がごろごろします。しかも、ボーっとして、寒気が若干します。これが、胃腸風邪というものなのでしょうか?今まで、胃腸風邪っていうものになった事がありませんから、良く分かりません。まあ、ミクシィを書く元気はあるんですけどね。
風邪惹くといつも思うことは、月並みな意見ですが、健康なだけで、幸せだなと思います。でも、健康な時はそんな、ありがたみを認識する事はあんまりありません。
他にも、無くなって本当に大切さが気づくものっていっぱいありますよね。
それで、思うことは、何かを分析する時や、物事の本質や特徴を解釈するには、何か他に比較対照がないと駄目だと思います。
健康な状態を見つめるには、やはり、健康じゃない時を考えてみる、とか、何かの重要性を考える時はそれが、無くなった時を想定してみないといけないと思います。
いわゆる、相対的なモノの見方をしないといけないと思います。
例えば、日本の事の文化について、考えてみる時に、日本の事だけを分析しても、あんまり、大した考えってのは、出ないのじゃないのでしょうか。外国の文化と比較することで、日本の文化が見えてくると思います。
日本語の特徴を分析するには、外国語知らないと、分析で無いと思います。
己を認識するには、他の存在を知らないといけないと思います。
たとえば、外国があるってことがしらない大昔の日本人は、自分が日本人であったって言う事を認識しなかったと思うんですよね。外国人というまったく違う人種の存在を知る事で、はじめて、日本人だったと認識すると思います。
自分に属するものを分析するには、1つ上のディレクトリに上がる必要があると思います。
だから、今まで、他に比較対照がひとつも無いものっていうのは、解析ができてないんじゃないでしょうか。例えば、宇宙とかですね。もし、宇宙と比べられる何かが見つかったとしたら、宇宙についてもっと、理解が深まると思います。
新種の発見や登場というのは、凄く意味があることだと思います。たとえ、それが少数派で1%にも満たなくてもです。それのおかげで、残りの99%以上のモノについて、あたらしい、価値の判断基準が増えるからです。
世の中は、結構、何かを前提としている事が多いと思います。大きなものの見方をすれば、それは、特別な事だという事に気づくと思うんですが、その前提になかなか気づかないと思います。
それにしても世の中には、ほとんど相対的な価値しかないと思います。
ある会社のテレビの本当の性能を知るには、やはり、他社のテレビををみないと、分からないと思います。現在優れていても、それが、何年かすれば、変わりますしね。
人間にしたって、相手を良い人だなと思うには、それまでに悪い人と会わないと認識できないと思います。
そんな、世の中で、絶対的なものが見つかるってのは、すばらしいことだと思います。
プロポーズをするとしたら、「相対的な価値しか見つけられない、この世の中で、やっと、君という僕にとって絶対的な存在を見つけることができたんだよ。」的な言葉を使ってみようかな。