辞書を見ると、凄い数の言葉があり、すべてに意味が説明されている。
しかし、人間は言葉を覚えていきますが、その大半は辞書から学んだものではないと思う(母国の場合)。人が使っているのを聞いて、その文脈から自動的に類推して理解していくのだと思う。
そうしていくことで、人間は辞書に載っている以上に言葉の意味やニュアンスを覚えていくのだと思う。
言葉が、どんな時に、どんな状況で多く使われ、どんな種類の人によって使われるかによって、言葉の持つニュアンス変わってくると思う。
要するに、その言葉が使われる状況や使う人が、そのまま、その言葉のニュアンスになるのだと思う。
例えば「寂しい」と「切ない」って言葉があるが、これらの意味はだいたい同じような意味である。しかし、ニュアンスは違うはずである。多分、今までどんな状況でどんな人が使っていたかという事でニュアンスが決まると思う。(言葉の持つ音からもニュアンスが生まれると思うが。)
ある特定のニュアンスが植えつけられた言葉がある。
例えば、「人妻」という言葉。この言葉の本来の意味は「他人の妻。また、結婚している女性」である。しかし、たいていの人が「人妻」っていう言葉を聞くと、不倫とかそういうのを想像するのではないだろうか。人妻っていうキーワードでググって見ると分かると思う。そういうところで多く使われるようになったから、そのニュアンスが出てきたのだと思う。
他にも、「微妙」という言葉。これを辞書で調べてみると下のような意味である。
1 趣深く、何ともいえない美しさや味わいがあること。また、そのさま。みみょう。
2 一言では言い表せないほど細かく、複雑なさま。また、きわどくてどちらとも言い切れないさま。
今では1の意味を知っている人はほとんどいないと思うし、使ったところで相手に理解されないと思う。
今では、微妙という言葉は、本来は無かった「あんまりよくない」という意味で使われる事が多いと思う。
私の類推では、2の意味で誰かが使ったのだろけど、その言葉が使われていた対象が「あんまりよくない」ものだったから、聞き手の解釈が「あんまりよくない」となったのではないだろうかと思う。それが、何度か繰り返される事により、そういうニュアンスが付加されたのだと思う。
言葉のニュアンスというのはそうやって生まれるのだと思う。そして、ニュアンスが強くなりすぎると新しい意味になってしまうと思う。特に、今はマスメディアが発展しているので、全員に同じニュアンスを植え付けていることになるため、昔よりもニュアンスが生まれやすい状況になったと思う。
また、間違った解釈がされ、まったく違う意味が生まれてしまう時がある。
最近気になる言葉は「確信犯」という言葉である。この言葉の本来の意味は
「道徳的、宗教的または政治的信念に基づき、本人が正当な行為と確信してなされる犯罪。思想犯・政治犯・国事犯など。」
であるが、最近は、「結果が分かっているくせに、それを知らないフリして悪い事する」様な意味で使われている気がする。
僕はこの使い方に最初は抵抗があったが、みんな使っているので、僕も使うようになってしまった。
言葉という文脈から判断されるものだから、たまにこういう間違いが起こってしまうと思う。そして、それが多くの人に及んでしまうと、それはもう本来の意味を超えてしまう。
言葉は辞書で覚える事よりも、人から聞いて類推する事の方が圧倒的に多いから、言葉は新しい意味が生まれたり、意味が変わったり、言葉が辞書では説明しきれないニュアンスを持つ事になるのだと思う。また、使われない言葉は通じなくなる。
外国語の単語の持つニュアンスが理解できないのは、辞書で調べる事が大半だからだと思う。
言葉は日々変化していくものだと思う。